肋骨鎖骨のブログ

友達の名前が呼べないタイプです。

身近な人の死にそなえて

20年程度生きてきて未だに親族の死を経験したことがない。母方も父方の祖父母どちらもだ。

けれどもここ数年、テレビで見てきた人、好きだった俳優や音楽家、ネット上の知り合いの死は幾度か経験している。

だからといって「あの時自分がこうしていたらあの人は死ななかったかもしれない」なんて後悔するほどの影響力は自分にはなく、ただただ静かに心に刻み込むだけである。

つまり、自分が一方的に知っているだけの間柄の人に対して、自分ができることなどないのだ。

 

しかし、自分の身近な人はどうであろうか。私の遠方に住んでいる方の祖父母は、2年ほど前から骨折や持病でみるみる弱ってゆき、ついには家に住むことができなくなった。

最後にあったのはコロナが広まるちょっと前であり、それ以来会うことができていない。

何かを悟ったのか、そのとき私は家の内観の写真を撮り回り、こっそり祖父との会話を録音した。それと、祖母の肩を揉んだ。

 

芸能人が亡くなったとき、自分の中にあるのは無力感だけだが、身近な人の死にはそなえることができる。おそらく私の祖父母や両親は私が生きている間に亡くなるだろう。そのときに後悔しないようやるべきことはやれるようになりたいと思う。

今はコロナ禍で別々の介護施設に暮らすようになった祖父母にまったく関わることができていない。自慢できるほどの大学には入ったものの就職は果てしなく微妙である。実績でこれ以上喜ばすことはできないと思うし、正直今やれることはない。

 

コロナがひと段落してもどれだけ会えるのかは謎だが、せめてそのときは側にいてあげたいと思う。

 

また、私は孫が自分に丁寧語で話すようになったくらいで死んであげたいと思う。

目薬がさせない話

 左目にかゆ激痛が走っているのでひさびさに目薬を指した。

 

 最初の2プッシュは目の下に外れた。ようやく3回目で目のちょい上に来たのでまばたきしてなんとか成分を眼球に染みさせることができた。

 

 元から目薬を指すのが苦手だったが、更にひどくなったのには明確な理由がある。それは何年か前に酸性の「絶対に目に入れないでください」とラベルされている薬を、目薬だと間違えて眼球に指してしまったことだ。

 

 液体タイプで広範囲に塗ることができるニキビ用の薬だったか、形が似ているので間違えてしまった。どっちも木工用ボンドのような横に広いボトルだったからだ。

 ただ、似てると言っても目薬は透明な正方形気味の容器に黄色の半透明が入ってるもので、ニキビのは白くて硬い容器であってこれを間違えるのはそうないことだろう。

 

 この2つを似た形とみなす自分の視認性の雑さにビックリだが、すぐ気付いて水洗いをした自分をちょっと褒めてあげたいと思う。

 左目は眼球に直撃したが、右目は危機感からか外したのは不幸中の幸いだった。

 

 夜だったので声をあげれないし、助けを呼べないのも大変だった。もし家族がいる時だったら助けを求めたのかは疑問だ。

 

 なんで夜更かししてたかというとFGO天草四郎のイベントか強化クエストをやっていた覚えがある。

 

 FGOは去年の水着とキャストリアの8月から星5が一枚も出ていない。今回も散々でなけなしの無償石がここ数年で最小になっている。

 色々ひと段落したらはやくキャメロットを進めたい…